吉藤2丁目の版画家中西俊佳さんが取材中に偶然発見しました。
その昔山越えから鴨川にかけて道路がくねくねと7か所曲がった[七曲り街道]
があり、その道端にお遍路さんの道標としてお地蔵さんがあり、[太山寺へ42丁]
という文字が刻まれておりました。
戦後、この[七曲り]は改良され、お地蔵さんも同時に行方不明になっておりました。
[太山寺へ42丁]という場所は、今の吉藤市営住宅当りになります。
早速現地調査を行い、その所在を確認しました。
太山寺仁王門の階段左側の敷地内に安置されておりました。
右側に[太山寺へ四十二丁]、左側に[為三界萬霊施主吉藤村]と刻まれております。
はてさて、これからどうしたらいいのでしょう。?
写真、まちづくり協議会 藤本
えらいものを見つけましたね、三界の萬霊を供養するため
吉藤村が設置したのでしょう。
多分、戦後の道路改修の時、置き場に困って
大山寺の文字があるからそちらに行ったのではないでしょうか
だとすると本来の位置に帰っていただきたいですね。
まち協さん、吉藤村と協働して移設運動をお願いします。