ネタ切れの盆栽に代わり、しばらくの間「石」にお付き合いをお願いします。
「石」といってもその形・・・なかなか奥の深いものですよ。
今回は、高度差「1500m」の岩塔です。
写真は時計回りに撮影しました。
さて、あなたならどう登りますか?
写真・記事提供:中西公民館長
ネタ切れの盆栽に代わり、しばらくの間「石」にお付き合いをお願いします。
「石」といってもその形・・・なかなか奥の深いものですよ。
今回は、高度差「1500m」の岩塔です。
写真は時計回りに撮影しました。
さて、あなたならどう登りますか?
写真・記事提供:中西公民館長
私の父は昭和5年25歳の時、石鎚7山にお参りに行きました
前日の夜中に家を出て川上村、黒森峠、渋草村、面河を経て
日没前の頂上に立ち、心が洗われました
その後夜道を成就に下りそこで泊まりました。
翌朝02時過ぎに出立、黒川、河口、もえ坂を経て横峯寺に参拝
湯浪から小松へ下りあとはさぬき街道をひたすら西へ歩き
横河原発の汽車の最終便で松山へ帰ったそうです。
その時に河口の賀茂川河原で拾ったのがこの石です
こんなものを背負って遍路殺しのもえ坂を上ったとは
明治の男のなんとも恐ろしきパワーです
ゆえに粗末にできない石なのです。
驚きました、 父上すごい! 形見の石お大切に・・・
この石鎚縦走?の話しは、館長よくご存知の山岳連盟の松長さん
(薬業協会初代会長)から聞いたことがあります。
又、坂本屋へ通い始めて8年になりますが、このルートを歩いて、
石鎚山から下ったお遍路さんと、御山を目指したお遍路さんが
ひと休みされたことがあります。
(そう云えば坂本屋の少し上の一の王子跡に東屋がありますね)
私は湯浪から横峰寺まで登って山門でダウン、数年後、車で再訪、
念願の星が森を参拝、モエ坂への下り道を教えてもらいました。
館長には、厳冬の成就社から奥前神?へ雪中行軍に連れて行って
貰ったことも忘れられない思い出です。(長文駄文悪しからず)